自分のタイムゾーンで生きる

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SNSを散歩していて見かけた言葉がある。

誰もが自分のタイムゾーンで生きている。

周りの人は君より進んでいるように見えるかもしれないし

一部の人は君より遅れているように見えるかもしれない

しかし 誰もが自分のレースを走っている

それだけなんだ

だから他人を羨む必要はない

彼らは彼らのタイムゾーンにいて

君は君のタイムゾーンにいる

慌てなくていい

ただし 時間と命は有限だ

一瞬に感謝して 自分の時間を生きよう

Instagramより

人の比較を生み出し、承認欲求を刺激するSNSにこのような言葉があることは、啓蒙的に感じた。

この言葉を見かけてから、私の意識が変わりつつある。

SNSから少しずつ離れ、自分の速度で生きようと。

誰かを追いかけて自分に辿り着く

遡ること2020年頃、

人との関りを保つために始めたSNSが、いつの間にか自分の生活時間を埋め尽くすようになっていた。

親指から広がる世界に歓喜し、自分の世界が広がったと安堵していた。

気がついたときには、右手にスマホを握らずには居られない状態。

自分よりも遥か先にいる誰かの姿を見かけては、憧れと羨ましさに支配されていたのだろう。

親指の向こう側にいる人たちへ近づこうと、がんばった。

心地の良い場所から離れ、挑戦の旅に出た。

看護師を辞め、ヨガ講師として起業や失敗をしたり、カウンセラーやライターの仕事を獲得しては失うことを繰り返すうちに、少しずつ誰かと同じようにはなれないことを、身に刻むように理解していった。

その先へ辿り着いたのは、自分らしい姿だった。

結局、画面の中で自分を追いかけ、自分に追いついたのだ。

誰かの真似をして後を追いかけても、自分のタイムゾーンの中で実現できることに、自分の速度で辿り着く。

自分の時間を生きる

4年が経って、人の生活は元の姿を取り戻しつつある。

SNSの中で広がる世界を、自分のペースで、自分の足と目で見に行くことにしよう。

自分の時間と命は有限だから。